2008.11.19(水) お知らせ

連載 なごみの湯求めて 「谷地温泉(青森)」を掲載しました。


なごみの湯求めて ナビゲーション 北海道
東北

DIYでウッドデッキを作ろう!

谷地温泉(青森)

浸かるほどに温かさの虜(とりこ)に

谷地温泉

 青森県の八甲田山麓にある酸ケ湯温泉から10キロと離れていない、国道103号線沿いの森の中に名湯「谷地温泉」は佇む。山間の一軒宿にしては客室が40室もあって決して小さな旅館ではないが、木造の古い山小屋風の棟が何ともいえぬ情緒を漂わせている。私たちはマイカーでやってきたが、リュックを背負って登山靴で訪ねる姿が最も似合いそうだ。

 案内された部屋は八畳の畳部屋。真ん中に質素なテーブルが一つあるきりで、ほかの調度品は何もない。テレビはもちろんなく、トイレも部屋の外だ。

 30代の頃にいろんな観光地を流浪したが、運悪くテレビのない部屋に泊まったりすると不平不満をぶちまけたものだ。ところが観光より温泉そのものに取り憑かれるようになると、生活用品が少しくらい欠如していても気にならなくなる。ゴテゴテと余計なものがあるより落ち着きを感じるようになった。

 建物の古めかしさ、部屋の質素さもさることながら谷地温泉で一番の鄙び感を肌で感じさせてくれるのは、やはり風呂場だろう。20メートルはあろうかという奥行きのある浴場で浴槽は三つあり、二つの衝立に等間隔に区切られている。手前の浴槽は「霊泉」と呼ばれ、透き通った湯で泉温は30度そこそこ。向こうの二つの湯槽は白い濁り湯で約40度、ともに強い硫黄臭を放つ。ともに混浴だが女性客はいなかった。

 ヒグポンは最初に霊泉に片足を突っ込んで、「何だ、このぬるさは」と興醒めして隣りの熱い白濁湯に入り直した。四、五人がたむろしていた。すぐ隣りには五十代の会社員風の男性。お互いに名刺代わりに出身地や前泊の温泉地を教えあった。埼玉の出身だった。風呂から上がったら部屋に飲みに来いと言ってくれた。少し離れた所に地元のお年寄り連中がゆったりと寛いでいた。世間話をしているようだが、強度の津軽弁で内容まで聞き取れない。ただ、そこから私が上がろうとした時に、中の一人がつぶやいた一言は何となく意味を汲み取ることができた。私なりに要約すると「そっちの霊泉にも入りなさい。ここの名物の湯だから。最初はぬるいけどじきに体全体が温まるから」と。

 お年寄りの言うように霊泉は極上の湯だった。肩まで湯に浸かっていると五分もしないうちに体中がポカポカと火照ってくる。体の隅々に残る疲労感や倦怠感が透明の湯にさらわれて行くような気がする。そしていつしか無念無想の境地に引き込まれる。

 私はこの霊泉の虜になってしまった。ヒグポンにも言ってないが、実はこの夜に隣りで大イビキをかく彼を置き去りにして三回も霊泉に浸かりに行ったのだ。

朝日温泉(北海道)

“平成の化石”的存在の山中の一軒宿

朝日温泉

 電話もない、“平成の化石”的存在の山中の一軒宿。

 実は私、大の推理小説フアンである。学生時代から和洋を問わず愛読しているが、水上勉の名作「飢餓海峡」は出会ったのが結構遅く2年前だった。昭和22年函館港で層雲丸が台風で大被害を被ったという災害を題材とした大作だが、その事件に隠れて或る殺人事件が同時進行するストーリーだった。犯人でもあり主人公でもある樽見京一郎が逃げ隠れした舞台の一つがこの朝日温泉であった。

 私とヒグポンが朝日温泉に訪れたのが5年前で、当時はまったくその事を知らなかった。もし知っていたならまた特別な感慨もあったろう。

 朝日温泉は北海道の積丹半島の玄関口に当たる岩内町に位置し、雷電山の中腹にひっそりと佇む。地理的には岩内町から10キロと離れていない。距離的には町の郊外といった感じだが、今なお電話がなく電気さえも通じていない。“平成の化石”と言える存在だ。電話がないから雷電山の麓の米屋さんが予約の代行をしている。(携帯があるから大丈夫なんていう状況ではない。当然圏外で通じない)

 松前の方から国道229号線を北上し、岩内の手前で右折して雷電山の山道を車で登った。劣悪なダート道は細く急勾配でくねくねと曲がり、おまけに数日前の大雨で所々に地割れがあった。宿まで3キロと案内板にあったので通常の平坦道で5〜6分、山道なら五割増しくらいに考えていたが、実際には20分近くかかった。

 宿帳に記帳をすますと女将さんが笑みを浮かべながら「帰りも気をつけてくださいね。山道から落下する車も結構多いんですよ」と平然と言う。

 薄暗い玄関から廊下に渡る際に、おやと思った。天井にも階段の上り口にも電球が灯っているのだ。女将から自家発電の説明を聞いた。そのせいか光の強さが安定していなく、とぼりそうな瞬間を何度か垣間見た。五組も旅行客が泊まれば満員になりそうな木造二階建ての宿で、実際この日も私たちと老夫婦の二組だけだった。しかしながら朝日温泉の存在感は大きく、麓に林立する雷電温泉の旅館・ホテルすべてに温泉湯を供給しているのだからすごい。

 宿の規模に反比例して内風呂は相当に広い薄めず沸かさずの湯の匂いが浴室に充満していた。湯の正式名称は「含硫黄+ナトリウム硫酸塩泉」ということだが、ほのかな硫黄臭が鼻先に漂った。他の入浴客は誰もいない。電灯の数が少なく靄の中にうずくまっているような気がする。浴室の外からは夏虫の鳴く声と自家発電のモーターの音だけが聞こえる。昭和40年、50年頃なら電気の通じない温泉地はそれほど稀少ではなかったはずだ。山深い一軒宿の湯治場ではランプを灯火にしている所もそこそこ存在していた。昨今ではわざとランプを吊り下げて人気を博している旅館も或る。朝日温泉の鄙びた風情は電話のないことや自家発電によるところが大きいと思う。「モーターが止まったら電気が消えるわよ。いつまでも夜更かしをしてないで早く寝なさい」と、女将の心情をモーターの音が代弁しているような気がした。

上の湯温泉(北海道)

丸太風呂でつい居眠り

上の湯温泉

 北海道の渡島半島の中央部に「銀婚湯」という珍しい名前の温泉がある。道内に150ヶ所以上あるといわれている温泉地で「日本秘湯を守る会」の会員旅館はほんの四、五軒しかない。その一つが「上の湯温泉・銀婚湯」だ。宿の名の珍奇さもさることながら、敷地内に丸太をくりぬいた手作りの露天風呂があるということを知り、私とヒグポンの秘湯探索意欲が一気に燃え上がった

 銀婚湯は函館から長万部方面に国道5号線を車で1時間ほど北上し、落部という町を左に折れ山間部を目指す。道路に面した宿の看板を見逃すと通り過ぎてしまいそうな静かな村落の中にある。蜩の鳴き声しか聞こえないような森の中にひっそりと佇んでいた。昭和天皇の銀婚式の日にオープンしたのだから宿の歴史は相当に古い。数年前に新館が増設されたが、私たちは本館を希望し予約を入れた。ただ単に宿泊料金が割安だという理由ではなく、古く趣きのある館のほうが居心地の良さや落ち着きを感じるのだ。

 夕食までに1時間ほどあったので、散歩がてらに河原の露天風呂に向かった。本館の庭先を横切って宿の裏手に出ると、草むらの中にくねくねとした小道が続き数メートルごとに露天を案内する簡素な矢印看板が立っている。

 五、六分も歩くと雑木林に囲まれた露天風呂に着いた。二畳ほどの掘っ立てふうの脱衣所があり眼下に流れの緩やかな渓流が見降ろせる。真夏だというのにうっそうとした木立ちに覆われているせいで、やけに涼しい

 木立ちの中には二つの露天が横たわる。手前は待望の丸太をくりぬいた丸太の湯船でもう一つは河原に沿って2メートル四方のコンクリート造りの湯船が地面に直接埋め込まれていた。ヒグポンが四角い露天に向かったのを幸いに私は丸太風呂を独占した。

 渓流の絶え間ない瀬音、野鳥のさえずり、そんな優しい環境に包まれて適温の湯に浸かっていると、ついまどろみの境地に引き込まれてしまった。

 木漏れ日にふと我に帰る。一体どれくらいの時間が過ぎたのだろう。陽の陰りから考えても十分かそこらだろう。もう一つの露天に目をやるとヒグポンも眠ったように首まで湯に浸かっている。二人で半年も前から計画を立て、北海道に上陸したら真っ先に駆け付けようと言ってた銀婚湯にいま来ているのだ。こんな大事な時に居眠りをしている自分を罵りながらも、それなら一体どうすればいいのかと自問した末に、やっぱりこうして気の済むまでとっぷりと湯と関わる以外にはないのだという単純な結論に行き着いた。いい湯は人に和み(なごみ)を与えてくれるのだ

セセキ温泉(北海道)

満潮時は大半が海の中

セセキ温泉

 温泉仲間のヒグポンやタコちゃんと北海道をし,最果ての知床半島まで足を伸ばすと必ず立ち寄るのが「セセキ温泉」という珍しい海中温泉だ。やっぱり海の中に温泉があったり,滝そのものが温泉であったりするのは一般的にはフツウでないだろう。地図や案内標識では仮名で表記してあるが,古くは「瀬石温泉」と書いたらしい。これなら海岸線に近い岩場の温泉だということが想像できる。

 セセキ温泉は知床半島の南側に当たる羅臼町から半島の先端部に向かって海岸線を東上する。平坦な道が続く。車で走るたびに感じることだがここまで来ると随分遠くまで来たなぁといつも思う。あと30キロも走れば日本の領土の最東端に到達する。天気のいい日には国後島の島影が水平線にぽっかりと浮かぶ。羅臼町から約20キロ,東に進むにつれて民家がまばらになり,逆に漁師小屋や繋留された漁船の数が増える。

 夕方5時を過ぎた頃にセセキ温泉の駐車場に着いた。海に目を向けると,大小三四の岩が地続きになって海中の露天風呂に繋がる。道路から海辺に降りると一軒の民家があり,そこが温泉の所有者の浜島さんの家だ。何度か「ごめんください」と連呼したが返答がない。どうも留守らしい。玄関の脇に賽銭箱のような小箱が壁に貼りついていたので,ヒグポンと二人分の“寸志”を納めて露天に向かった。地続きの岩が満潮に近いせいで八割方海中に没していた。ズボンの裾をまくって岩礁を乗り越える。

 岩陰で衣服を脱ぎ捨てて見下ろすと岩で囲まれた広い湯船があり,先客が思い思いの格好で湯だまりにくつろいでいた。湯だまりは二ヶ所あって大きいほうに三人,小さいほうに四人いた。ともにニ,三十代で単車によるツーリストの仲間同士のようだ。

 私とヒグポンは「こんちは」と一声かけて大きいほうの湯船に浸かった。彼らも笑顔で挨拶を返す。秘湯探索で出会うのはおおむね気やすい連中ばかりで,何のとっかかりもなく温泉情報の交換が自然発生する。秘湯を訪ね歩くという共通項で簡単に仲間になれる。

 いい湯加減だ。塩化物泉でかなりしょっぱい。四方に波のほとんどない静かな海が広がっている。薄い雲が水平線にかかっているために,残念ながら国後島は見えない。しかしながら日本の最果ての海の中に佇む実感が体中を駆け巡る。遠くまで来たことをあらためて感慨深く思う。

 やがて海全体がたそがれ色に染まり始める。まるで黄金の絨毯を視界の限り敷き詰めたようだ。あと数分もたてばこの湯船も海中に姿を消すだろう。車にもどっても運転席で髪をタオルで拭いていると塩化物泉で温められた体中から汗がいっぱい吹き出した。その火照りで再び充実感を感じながら私たちは帰路に着いた。

養老牛温泉(北海道)

小川のほとり、優しい極楽の湯

養老牛温泉

 養老牛温泉の所在地を短い言葉や文章で説明するのは実に難しい。あえて言い表すなら根室半島もしくは釧路方面から、霧でその名を馳せた摩周湖に向かう道中にあるとでも言ったらいいのか。私の車にはGPS(衛星利用測位システム)ナビが設置されているが、この時は巨大迷路に迷い込んだように行く手の見当がつかない。目的地を目指す矢印に従って走っているもののついルートから外れてしまう。この迷路迷走のおかげで私たちは今までの北海道旅行でも体験したことのない原野風景に出遭う幸運に恵まれた。

 小高い丘陵地が視界の果てまで延々と続く。浅黄色の丘陵全体に丸くひとかたまりになった樹木が間隔をおいて点在する。まるで黒い毛糸玉をばら撒いたように。西に傾き始めた太陽光線がフイルターを被せたように丘陵を覆い、優しい茜色に染まった。ほんの五分か十分の間だったろう。私たちは車を降りてこの不思議な光景に茫然と見惚れていた。後日この話を旅行仲間にする機会があったが、仲間もこの辺で同じような体験をしていた。

 迷走の分だけ遅れて養老牛温泉の「からまつの湯」にたどり着いた。旅館・ホテル等が五、六軒ほど林立する温泉街から少し離れた静かなカラマツ林の中にある。湯船は川幅3メートルほどの澄み切った小川のほとりに佇み、先客が四、五人いた。大小の石組に囲まれ、その周囲には切り株を模倣した腰掛けが数個ある。その一つに川からの涼風で湯冷ましをしている若者がいた。これがかなりの“うるさ型”で、旅行客とおぼしき人物が湯に入ろうとすると、「風呂桶を使って体を洗ってから入れ」とか、「水道のホースを湯にいつまでも入れておくと風呂全体がぬるくなってしまう」などと、当たり前のことを口うるさく言う。地元の消防団か青年団の頭か何かだろうか、態度がふてぶてしく鼻持ちならない。

 静まり返った木立、川底の小石まで透けて見える小川、地平線に刻々と接近する西陽、無色透明の優しい湯。年配者なら「極楽だ」と言うだろうし、新潟弁なら「じょんのび(気持ちがいいという意味)」といった心境か。

 先客がボツボツ帰り支度を始め、あの“うるさ型”も着衣を始めた。ヒグポンは湯から上がって切り株に腰を掛けてタバコをくゆらしていた。私は誰もいなくなった湯船で手足を思い切り伸ばしていた。「ああいう厭味な奴ってどこの公共浴場にもいるんだよね」と彼。「多分職場なんかでももっとも嫌われるタイプだろう」 と私。林全体がうっすらと暗くなり始めた。真夏とはいえ北の大地の黄昏時は一気に冷え込む。「もうひと風呂浴びれば」とヒグポンに声を掛けると、タバコを揉み消して一度目の入浴よりさらに嬉しそうな顔をして再び湯に飛び込んできた。消防団長?はもういない。私たちは“鬼のいぬ間に”もう一度命の洗濯をした。

菅野温泉(北海道)

館主手造りの露天風呂

菅野温泉

 北海道に150ケ所あるという温泉地ともなると、道民でも耳にしたことのない温泉があるらしい。

 富良野市の隣にある美瑛町には、北海道に行くたびに買い物をする手造りの土産店「貴妃花」があり、そこの女主人と懇意にさせていただいている。自宅開放型の店内の小さなテーブルで挽き立てのコーヒーを啜っていると、「最近仕入れたんだけど、いい秘湯情報があるのよ。教えてあげようかな」と彼女。マル秘情報ということで興味津々に耳を傾けると、発せられた温泉名は「菅野温泉」だった。

 菅野温泉はヒグポンも、もう一人の温泉仲間のタコちゃんと一年前に来ていたし、私も前からターゲットにしていた秘湯だ。これだけ広大な土地がらであり、また無数に散在するということでもあり、地元の人が知らないのも無理がない話かもしれない。

 糠平街道を然別方面に西下し、鹿追市街から再び大雪山麓を車で30キロほど山道を登ると、一軒宿の菅野温泉に辿り着く。木造三階建ての本館は古めかしく趣きがある。

 全国各地から菅野の“医者いらずの湯”を求めて湯治をする客も多く、鉄筋の新館・別館が本館の裏に続く。「含炭酸重曹塩泉」「含石膏食塩鉄泉」など、難しそうな泉質名でいかにも効き目のありそうな源泉が何と7つもあるという。ニ、三種類の源泉を持つ温泉はそう珍しくもないが、これほど多くの源泉を有する所は秋田県の「鶴の湯」か、宮城県の「鳴子温泉」くらいだろうか。7つの源泉を体感してどの風呂も甲乙を付け難いと思ったが、やはり菅野名物の円形露天風呂が特筆ものだった。本館の客室の途切れた所からさらに細い廊下が続き、しばらく歩くと突き当たりにちっよとした脱衣所があってその小窓から黄土色の湯をたたえた露天が顔を覗かせた。

 常緑樹「一位(いちい)」の木片で縁取られた直径3メートルほどの円形風呂。館主が二年の歳月をかけて自身の手で作り上げた自慢の湯船である。万病を癒すといわれる露天がこんな草に囲まれた旅館の庭先にポツンと鎮座する。湯に浸かると数分で顔面、首筋に汗が噴出す。濃度の強い黄土色の湯がじわじわと体んの芯までしみこんでくるような気がする。

 ヒグポンも私も大のお酒好き。ともに高脂血の疑いや肝機能に難があり、年1度会社の定期診察を受ける。首まで湯に浸かった彼に「今年は数値が少しは下がったか」と聞くと「ぜんぜんダメ」とそっけなく答える。まあ私たちのように手当たり次第に各地の湯に入ったり出たりしているようでは効力は期待できないだろう。しかしながら気力というか活力というものが自然と体の底から湧き上がってくることは十二分に実感できるのである。

羅臼温泉・熊の湯(北海道・知床半島)

人びと集う、憩いの場

羅臼温泉・熊の湯

 知床半島はオホーツク海に角を突き出したような格好で北方領土を睨んでいる。面積の割には町の数が少なく、半島の北側の根幹部に宇登呂町と斜里町、南側に羅臼町があるきりだ。

 今回、宇登呂から知床横断道路を渡って「羅臼温泉・熊の場」を目指した。全道二十八キロの道程で今までに晴れ渡った景色を拝んだ経験がない。ちょうど中間点に知床展望台があって国後島の眺望ポイントとされている。大型観光バスが何十台も止められる立派な駐車場がありながら、常に濃霧とにらめっこして無為に時を過こす観光客で溢れている。私たちも後ろ髪を引かれながら仕方なく横断道路を下り始めたころになって、ようやくバックミラー越しにぶ厚い雲が途切れて太陽が顔を覗かせた。

 羅臼の温泉街が木立のすき聞から見え隠れする地点まで来ると、鼻先をプーンと強い硫黄臭が掠めた。道路脇の案内板より確かな道しるべだ。

 道路沿いに細長い駐車帯があり、四、五台の車が止まっていた。羅臼川の渓流に架かる「いで湯橋」を渡ると、熊の湯の低い屋根が見える。白い湯けむりが森の中を静かに漂っている。湯船は男女に分けられ、しっかりとした木組の脱衣所があって風呂桶や石鹸も十二分に揃っている。

 直径四メートルほどの円形の湯船が湯を満々とたたえている。さっそく湯に片足を突っ込んでみたが、”激あつ”で思わず足を引き上げた。四十四、五度はあると思える。湯船の向こう側では六、七十蔵のお年寄り連中が悠然と肩まで湯に浸かっている。

 彼らに入ることができて私たちにできないとなると、”温泉探検隊”の沽券にかかわる。しかし、よく見ると彼らのたむろする近くに黒いホースが丸めてあり、そこから水を引いて湯を冷ましていることに気付いた。足を入れたり出したりしている姿に笑みをうかべながら、お年寄りの一人がホースの首先をこっち側に投げてよこした。おかげで私とヒグボンは無事に湯に馴染むことができた。

 私たちのすぐ左隣には大工職と漁師風の中年の二人が景色の話などをしていた。右隣には茶髪の観光客がタオルを頭に載せて目をつぶっていた。向こう側のお年寄り連中は地元の仲間同士か、時折冗談を言い合って笑い声が弾けていた。

 住民にとっては憩いの場なのだろう。そこに観光客が押し入っても違和感が全くない。北海道の短い夏に観光客 が津波のように押し寄せる。私たちのように名湯探索を目的に訪ね来るのもいれば、単に湯けむりに誘われて足を運ぶ連中もいるだろう。

岩間温泉(北海道)

森を抜けると 湯船がひとつ!!

岩間温泉

 湯船が一つあるきりで旅館などの宿泊施設は全くない。しかし、地図にはしっかりと温泉名が載っている。それが岩間温泉だ。北海道の屋根、大雪連峰の秀峰石狩岳の山懐に位置する。

 糠平街道と呼ばれる全舗装の国道273号から石狩岳を目指す。キャンプ地の駐車場のような広い平地に着いたが、どこを見回しても案内板はない。仕方なく目の前の景色が遮られていない方向に歩を進めた。どう見ても道とは思えないが、草木がほとんどないところから判断すると、ここしかないような気がした。ヒグボンを見やると彼も不安を抱えているように見える。

 十分ほど歩くとその道らしき物が途切れ、川幅十bばかりの渓流が目の前に広がっていた。渓流の向こうにはやはり道らしき物が先まで続いている。私たちはズボンの裾を膝までまくり上げ渓流を渡ろうとした。川幅もさほどないし、川底の石もはっきり見えるくらいの浅瀬だった。

 片足を突っ込んだ瞬間に二人とも金切り声のような悲鳴を上げた。真夏だというのにその冷たさは想像を絶した。冷たさというより激痛だった。考えてみれは大雪山の山頂近辺は万年雪に被われているわけだから、清流の冷たさは生半可なはずはない。

 アイスキャンデーのようになった足をしばし陽光で温め、再び森の中の荒くれたけもの道を数分も匍匐前進すると、急に視界が開け、小高い丘の上に露天風呂が見えた。三、四〇センチ大の石で縁取られた長方形の畳二枚分ほどの湯船で乳白色の湯が陽光をはね返していた。

 先客が二人いたが、スノコの板敷きですでに湯から上がり着衣をしていた。私たちもスノコの上で服を脱き始めると、鼻先をブン、ブンとやぶ蚊が急接近してきた。両手で払いながら一目散に湯船に飛び込んだ。

 渓流のほとりで景色を遮る物は何もない。確か石狩岳か音更山など二千メートル級の高峰の六、七台目あたりにプロットされているはずで、肩口から上の部分を冷たい風がなぜて行く。

 私は極めて長湯のクチ。ヒグボンも同類だが、今日に限ってカラスの行水並みに早くも着衣を始めた。湯にでも当たったのかと尋ねると「やぷ蚊にちょっとやられてね」と苦笑。実は私も数日前に函舘の温泉で首筋がやぷ蚊の強烈な一撃を受けてゴルフの球の如く腫れていた。

 帰途、町はずれの薬屋に立ち寄り、虫さされの特効薬を買った。私の場合はうなじ。被は下半身の局所の先に痛打を受けていた。彼にとって岩間温泉はとんでもない土産を授けた。

カムイワッカの滝(北海道)

豪快になだれ落ちる 湯の滝!!

カムイワッカの滝(北海道)

 北海道の知床半島にある秘湯・カムイワッカの滝。半島の深奥部にそびえ立つ硫黄山の麓に豪快になだれ落ちる湯の滝で、日本では他にほとんど例を見ない大規模な自然湧出の温泉である。オホーツク海に突き出たこの半島が北海道の最東瑞に位置することを考えれは、その近辺に散存する温泉を含めて日本で一番東にあるといえる。

 私の温泉探索の原点はこのカムイワッカの滝であると思っている。この滝との出合いによって自然温泉の素晴らしさを体感した。滝壷を取り囲む自然環境に開放感を味わい、湯に浸かり瞑想することを覚え、湯から上がると全身に新たな活力感のようなものを感じた。

 漁業と温泉の町、宇登呂から約二十キロ、車で三、四十分。九十九折りダート道が滝の入り口まで続く。うっそうと生い茂る樹木に遮られて視界が悪い。時折道端で野草を食むエゾシカの群れに出合う。私たちの車の音に驚き、親シカが跳ねるように森の中に遠のく。子ジカも遅れまいとしそれを追いかける。

 温泉仲間の「ヒグボン」が二度目、私が三度日のカムイワッカの挑戦だ。目的の滝壷に到達するのに道という概念が存在しない。急峻な川沿いに連なる大小の岩々を跨ぎながら前進するか、全身ずぷ濡れになりながら川の中を匍匐するしか手段がない。滑りやすい岩で打ち身やかすり傷にはもう慣れたもの。

 悪戦苦闘の末にようやく滝壷が視界に入った。ずぶ濡れになった長袖シャツをまくって腕時計に目をやると、午前五時に数分を残す。所要時間、約二十分。

 カムイワッカの滝の天衣無縫な雄姿はいつ見ても変わらない。大岩磐の天辺からゴーッ、ゴーッという轟音を響かせて熱場が勢いよく滝壷に落下する。

 私たちは衣服とリュックを岩の上に置き、さっそく滝壺に飛び込んだ。朝一番の入湯で他に観光客はいない。気兼ねなしに手足を思いっ切り伸ばす。酸味の強い適温の湯が登攀の際の疲労感を取り除いてくれる。耳に入る音といえば、滝の地を揺るがすような落下音と野鳥のさえずりくらいのものである。

 ヒグボンに目を向けると滝の落下する地点にいて目をつぶっていた。「疲れたか」と聞くと、「ぜんぜん」と負け惜しみっぽく答えた。岩の上に置いたリュックから缶ビールを取り出して彼に投げ渡した。ニコリと笑顔でそれを受け取り、右手でVサインを返した。